So-net無料ブログ作成
検索選択

新年に 〜2016年1月4日〜 [雑感]

新年の幕開けは厳しい・・。
ツイッターを見ていたら、目を疑うようなツイートがあった。

初詣に行った神社に、憲法改正賛成ののぼりが立っていたり、賛成署名用紙が置いてあったりした、というツイートだった。

これはあまりにもひどい新年の幕開けだ。ひどすぎる。
多くの人が集まる初詣の人に向けて、憲法改正反対の署名活動をする市民団体がいるのはわかるが、
神社そのものが、境内に「改正賛成のぼり」を立てたり、社務所に「賛成署名」が置いてあったら、大問題ではないか。
大問題などという生やさしい言葉では言い表せない。本当にショックだ。


なぜここまでひどくなってしまったのか、数年前までは「九条を守ろう」という運動を冷ややかに、あるいは無関心に見ていただけだった人が、公然と「愛国心(と呼べばいいのか)」をむき出しにして行動し始めた気がする。

前々回のブログにもかいたけれど、「教育基本法改悪」の影響がここまで大きく世の中を動かしたのだと思う。「公共の精神」「我が国と郷土を愛する態度」が、新・教育基本法の目標の中に入れられることによって、与党の後押しをする人たちは全くの勘違いをした。
「公共」とは「与党政府が目指す社会」のことであり、「我が国と郷土」とは、「与党政府が支配する国と郷土」という風に。

だから公民館などで、憲法の学習会というと公民館を貸さないようにしたり、憲法9条という言葉が入った俳句を排除しようとしたり、公務員(特に教員)に「君が代・起立斉唱」を監視してまで強要したり、ということが平気で行われるようになった。
「公共」「我が国」というのは与党政府が握っているもので、下々はそれを敬い、その下僕としてふるまうのが当然と思っているようだ。

神社はこうなると「神」を祀る場ではなく、与党政府の掲げる『神のようなもの』を祀る場になったのかもしれない。もっとも神社とて営業しているわけだから、地元の議員からたくさん寄進があったりすれば、そういう人たちの喜ぶようなことをするだろう。それでも以前は、そこまであからさまなことはしなかった。完全にたががはずれてしまっている。
もちろん立派な神社は多く、「憲法改正賛同署名」を置いておくような神社は少数であることを願うが。


一方、『赤旗』には長野市の善光寺の白蓮坊住職の言葉が紹介されていた。

{「これまで自民党支持だったが」と切り出したのは、善光寺白蓮坊の若麻績住職。「戦時中、仏教界は戦争に反対するどころか荷担し、内外で多くの命が奪われた。仏教精神に反する。命を大事にする政治を」と戦争法(安保法)反対の意思を表した。}

善光寺はがんばっている。
IMG_7332.jpg善光寺
北京オリンピックのときにも善光寺が長野での聖火リレーの出発点に決定していたが、チベット問題に対する抗議表明で、出発点になることを返上した。

いろいろな立場の人が、いろいろな場面で「政治的中立」という態度で済まそうとするが、戦争が推し進められようとしているまさにその時に、「中立である」ということの意味は一体何だろう。
戦争に関しては、反対するか賛成するかのどちらかの選択肢しかない。真ん中のどっちつかずという立場はあり得ない。
戦争には反対である、という事をなぜ堂々と言えないか。言わないのは賛成だということだ。

社会では、仕事上や付き合い上で、政治についての話題は避けてしまう傾向が強い。
かくいう私も政治に関しては人を選んで話しをしている。
そうしないと、回りじゅうが私の敵だと感じてしまうことになり、いろいろめんどうくさい。自分と考え方(特に戦争、平和、人権などに関して)が違う人間とは付き合いたくない。

私は友人があまりいないことをそう残念だとは思わない。(思わないようにしているといってもいいが。)ともかく、安保法案に賛成するような人と仲良くすることに何の意味があるか、と思っている。

そうは言っても生活していく上では考えの違う人ともある程度の付き合いが必要なこともある。自分の政治についての考えは隠して他の所で(つまりたわいのないことで)話を合わせるようにしている。

でも、もうそんな悠長なことを言っている時期ではなくなったのかも知れない。
むしろ積極的に話題にしていく必要がある時になったのかもしれない。
といっても普通の市民がやれることは、署名活動やデモや集会に参加することしかなく、回りの人間に議論を持ちかけても嫌がられるだけで思うようにはいかないのである。

(週末に善光寺に初詣に行こうと思う。)

nice!(3)  コメント(4) 

nice! 3

コメント 4

shira

 神社本庁ってのは日本会議の一派みたいなもんだということは理解してましたけど、いよいよやることが露骨になってきましたね。情報によると署名の訴えかけ文はいたってソフトタッチで、ほとんどだまし討ちのようなやり口です。
 神社の境内で政治活動していいんですかね。つーか、それこそ一方だけの意見を押し付けず改憲反対派の意見も示す必要はないんですかね。
by shira (2016-01-06 23:04) 

tamara

憲法を守ろうとするのは至極当然の行為で、いわば義務のようなものであるのに、「政治活動」と批判され取り締まりの対象になったりする。
一方、政治家が憲法を守らずに勝手なことをやっても許され、「憲法改正署名」を堂々と初詣の場で行う。完全に逆転していますね。

by tamara (2016-01-07 20:22) 

ayu15

神社団体は「宗教道徳右翼」(うちの造語)団体ですから・・・。


政治の話はあまりしたくありませんが自分や周囲の存立危機をまねく保守派(うようよする声含む)の言動には自衛権行使しないと存在できなくなる恐れがあります。



どういうわけか宗教道徳右翼で集団主義の思考の人は経済では極端な個人主義に走るようです。

困ったものです。
by ayu15 (2016-01-08 15:47) 

tamara

経済(自分やお仲間の)を守るためには、社会が自分にとって都合がいい方向を向き、同じ規範、同じ価値観を持つことが大事になるのでしょう。守りたいものが何かによって、人はずいぶん違ってしまうものだということですね。


by tamara (2016-01-08 20:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。