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「正義」と「公正」 [社会]

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正月にテレビで「相棒」を観て、よくできているなあ、と感心した。
最近の政治ネタがしっかり入っていて、ドラマを通して一貫して訴えているのが、「正義」と「公正」。
「相棒」シリーズはその時々の世間の話題になっていることが、うまく織り交ぜてありしかも批判的に描かれているので、見終わってなんとなく元気になってすっきりする。
いつも感じるのは、社会生活を送る人間が一番大切にしなければならないことは「正義」と「公正」だということ。これには文句なしに共感する。

人間として大事にしなければならないことと言うと、
一般的には「平和」とか「思いやり」とか「助け合い」という言葉があがるだろう。

それはそうだ、もちろんそうだ、と思いながらも、
何か居心地の悪さ、おさまりの悪さを感じてしまう。
「思いやり」も「助け合い」も人の感情や情緒といった部分に大きく関係するので、「一日一善」というような訓戒みたいに感じられ、居心地が悪いのだと思う。
「オ、モ、テ、ナ、シ、」を思い浮かべるからよけい居心地が悪い。

言葉は時代と共に微妙な雰囲気をまとっていくものだ。
「リベラル」という言葉も、今では価値がなくなり、むしろマイナスのイメージとして定着してきたのに驚いている。

「リベラル」の語源はともかく、私が学生だった頃使っていたリベラルの意味は、

「迷信や古くさい因習に囚われず、公正で自由な発想と行動力を持ち、
人真似ではなく、自分の進むべき道を果敢に切り開いていくこと」

だった。

だから「リベラル」はかなりのほめ言葉であって、
リベラルのふりをしているだけの人、真にリベラルな人、
という区別もしていた。

それなのに、今の政治の世界ではリベラルと言われるのはよくないことらしい。
それは左翼だからダメということらしい。
「左翼」という言葉だって本当はどうということない言葉で、
右翼に対しの左翼、という意味にとれば、私は左翼ということになる。
レッテル貼り(つまり差別)のために使うから嫌な気分になる。


そういうことを思いながら、あらためて「正義」と「公正」について考えてみると、これはまだゆるぎない言葉だ。
「正義」と「公正」に真正面から反対する人はいないだろう。
世の中のさまざまなニュース(政治的なものから、毎日のように起こる事故や事件にいたるまで)に、人が腹を立て、話題に取り上げ、事態を見守るのは、「正義」と「公正」がないがしろにされていることについてだ。

そのゆるぎないはずの「正義」と「公正」が最近軽視され始めたような気がする。
特に感じるのは政治における「正義・公正」の軽視だ。これは非常事態だと思う。

「正義・公正」にあらず、ということはすなわち「不正」なのだが、
「不正」が見過ごされて知らんぷりされ、まかり通っていくのを見るのはものすごく大きなストレスだ。このままでいいのか、これを許したら、このあとの「不正」もすべていいことになってしまうのではないか。
これでは社会生活の根幹が崩れてしまう。

森友・加計問題、沖縄基地問題、原発問題、労働問題・・すべてが「不正義」「不公正」に処理されていいるのが許せない。

「正義」と「公正」を大事にする世の中になってほしいというのが今一番の願い、目標だけれど、
「正義」と「公正」を振り回す人間て、今の社会では嫌われるんだろうね。


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