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2017年01月16日| 2017年03月10日 |- ブログトップ

森友学園事件に思う [教育]

森友学園のニュースはあさましく、地に墜ちたとはこういうこと、の見本みたいで、特に意見を述べる気にもならないでいたけれど、今、真面目に教育の取り組んでいる人たちに対して、やはりエールを送らないとまずい。

世の中めまぐるしくニュースが駆け巡り、一つのことを考えている間に、二つめ、三つめ、とひどい事件が起きるので、いつの間にかボーッとそれを眺めているだけの傍観者になっているような気がしている。
これは良くない傾向だ。

ひどいニュースを日常的に見聞きしていると感覚がまひしてくる、というのは戦争体験者から聞く話だが、こんな風だったのだろうかと感じたりする。

森友学園事件については前代未聞というべき形容がピッタリするのかもしれないが、アベ首相(アベ政権)はこういう人だろうと思っていたことが、そのまま表面に出たということで、特に驚きはないという人も多いだろう。
「類は友を呼ぶ」ということわざ通りなのだ。
公になっただけでも良かったと思うけれど、公になっても大したことは何もできないかもしれない。
これまでも、こんなひどい事が許されるのか、これで何事もなかったかのように政権は保たれて行くのか、ということがずっと続いてきているので、私たちの怒りや勇気がひどくそがれてしまうのである。

アベ首相の考え方は、憲法と真っ向から対立するもので、このような人物によって2009年に「教育基本法」が崩されてしまったことが本当に無念でならない。
「教育基本法」は元通りにしなければならないと今でも思う。

法律は人の手によって作られるものだから、人の手で作り変えることもできる、とは自明のことではある。
問題は、どういう人達(政権)によって、どういう目的で、変更されるか、ということにある。



日本国憲法は、

「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義(戦争放棄)」の3本柱であると、

中学生、高校生は学校で教わることだろう。
(ちゃんと教わっているだろうか・・?)

その3本の柱が戦後の日本の土台を築いて来た。
だから、この3本柱を崩すというのは大変な大変な大変なことなのだ。
私には、アベ政権がこの3本柱を全部変えたがっているとしか見えない。

国を讃える、ということを強調したがる人たちは、国民一人一人を大事にするのではなく、人が集まって成り立っている国というものの枠組みや体裁を重んじる人たちで、つまりは時の政権を讃えることをよしとする人たちだ。このような人物・団体・政体によって、憲法や教育基本法を変える、ということがいかに絶望的であることか。

憲法に沿って、平和を守ることの大切さ、一人一人が言論や表現の自由を持ち、人として生きていける権利を持つこと、一人一人の意見が尊重されなければならないこと、などを、学校でしっかり教えようとすると、「偏向教育ではないか」などと言い出す輩は行政側に必ずいたが、今ではそう言う意見が大勢になって、教員はさからわないようにしているのではないだろうか、と不安になる。

今回の森友学園の問題を見ると、国有地払い下げの問題と同時に、その教育内容についても、その異常さが際だっている。
教育の目標・内容と、学校設置および経営の何もかもが極端に狂っているとしか思えない。

この異常さの根っこがどこにあるのかを見極めないと、こんなことはいくらでも続くことになる。


ばかな政治家の介入を許さないために、先の「戦後の教育基本法」では、教育は「不当な支配に服することなく国民全体に対し直接に責任を負う」という条文(第十条)があった。
学校で教育に携わる者は、行政の命令などで教える内容を変えてはならず、憲法、教育基本法の精神に沿って、生徒や保護者に直接的に責任を持って接しなさい、という意味である。

それを新・教育基本法で「直接の責任」と言う言葉を削ったのは第一次安倍内閣である。
教育行政の中心にあるのは、与党政府の文科省である。
最近「天下り」で悪名を高めたがもう早くもニュース性はが薄れてしまい、関係者は胸をなでおろしていることだろう。(もともと腐りきっている、あるいは腐りがちな所なのだ)
そしてその文科省の息のかかった末端の都道府県や市町村教育委員会が「行政の代表および窓口」なのである。

この行政側の者たちにまかせなさい、つまりは命令することに従って教育しなさい、ということにしたのだ。


「戦後の教育基本法」は、戦前戦中、高校、中学校小学校のすみずみまで「戦争賛美」の教育が行われたため、これを反省して二度と「時の政権」に利用されないように、教育を政治介入から守るための法律だったと思う。

2009年、第一次アベ政権はまずその教育基本法を切り崩し、そして今、憲法を切り崩そうとしている。
政治というのは大きな力を持つもので、
その前では個人の力は本当にちっぽけで(ちっぽけなんて言葉では言い足りないほど小さくて)、そういう小さな個人が団結したり協力しあうことまでを徹底的に防ぐために、共謀罪だの秘密保護法を作ったりするのだ。

その流れに歯止めはかけられるのだろうか。
どうやって歯止めをかければいいのか。
崖っぷちに立たされている気分だ。


(追記)
一夜明けて、森友学園事件は学園の不正のみが大きく取り上げられ、その裏で大きな影響力を及ぼしている政治世界には、焦点が当たっていない。やっぱりこうなるか。

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